色々と手を尽くしているのに、一向に体調がよくならない父を何も出来ずに傍で見ているしかない母。直近の記憶もあまり覚えていないことを自覚して戸惑いながらも入院している父を復活を待つ。 毎日楽しい事に目を向けようとしながら、でも寂しい気持ちを抱きつつも弱音は吐かずに生きました。
消える記憶
認知症は脳が勝手に遊び始める、とミAアの本に書いてある。 数年前、母は骨折や癌の手術で生まれて初めて「行動の制限」を経験したといっても過言ではありませんでした。 母を助けるために父が家事を覚えた。 そして、以降次第に”忘れる”ことが増えた。 父は転倒をして後頭部を強打したからではないか?と思っていた。 わたしはひょっとすると”母の仕事(家事)をしなくてよい状況になった”からではないか、と思う事がある。 そうかもしれないし、そうでないかもしれません。 どちらにせよ認知症状があり色々な事を忘れてしまっても、母はいつも通り面白かったし、愛情深かったし、家族や友達のことを忘れなかった。しかし父がなぜ入院しているかはすぐ忘れる。。
そんな重要なところを忘れるのかい??
なんでやった??
何度も交わしたこの会話・・・。 よくよく考えてみると、母の方が正しかったのかもしれない。 体調不良で息苦しさを診てもらう、そんな気持ちで入院し検査をしたけれど医者も何が原因か分からなかったのだから。 原因わからず、治療もしないのに退院してこない父。 何度も聞かれた「なんでやった?」という質問、今となれば私もよくわからない(;’∀’) あの時『何度も言うんだけどね、コレコレこういう理由で入院してんのさ』と上から目線で言ったことを謝りたいわ。 ゴメンな、母ちゃん。
ええよーーー
とどまる記憶
直近のことは忘れる。。 と言っても、全部忘れるわけではない。 忘れるのは「母にとって」重要ではない事。 何を食べたとか、今日は何日とか、何曜日とか。 そんな事は母には覚えていなくてもどうってことない事。 しかし直近のことで覚えていることもある。 ある日、父の入院中の面会時に母の伸びた髪をみて父が
そろそろパーマ屋さんいった方がええのと違う?
と、言われると、次の面会までに自分で町内のパーマ屋さんへ予約をして綺麗にしてきたり、のりぞーが母に
おばあの家に今度泊りに来たい!
と言うと、週末前には「のりぞーは今度泊りに来るってまだ言ってる? いつでも泊まりに来ていいよ」と確認してくる。 心に残る嬉しいことや大事な事は不思議ととどまっていました。 のりぞーもとても母に懐いていたし、お互い大好きだった。 のりぞーの望みは全てを叶えてあげたい、という全身からあふれる愛をはっきりとわかっていたのりぞーは何度も同じ質問をしてくる母に笑顔で何度も同じ返答をしていた。
のりぞーと母が大笑いしながら描いた絵 ↓
寂しがり
父の調子が下降してきたころからわたしの実家へ通う日が増えた。 そして父の入院を機にでほぼ毎日母の顔を見に来ていた。 何時間も滞在していられないので顔を見て、話しをしたり、買い物へ行ったり。。。。 家を出てからこれほど母とあれやこれやと会話をする事はなかったのでこの期間はわたしの宝となりました。 しかし昼前に来て早いときは昼過ぎには帰ることもあります。そんなときは私が帰るとすぐに母は町内の仲の良いお友達に電話をして
暇なら出て来る?
話しよう!
としょっちゅう家に友達を呼んでいたことを亡くなったあと知りました(笑) 母は母なりに寂しさを紛らわしていたのね。 電話で何度も
大丈夫? 一人で寂しくない?
と聞くと、絶対に
寂しいことあるか~(笑) 忙しいなら無理しなくて来なくてもいいよ
と毎回言ってくれました。 ひょっとすると世話を焼きに来るわたしより、あーでもないこーでもないと喋れる友達との時間のが楽しかったかもしれないね。
産んでくれてありがとう
何度も伝えました。 人と違う事は「個性的でとても良い」と子供のころから言われ続けました。 泣き虫で臆病で意地っ張りで頑固なのに「個性的!」と褒められ続けたおかげで劣等感を持たず、いまだに精神は恐ろしいくらい子供のままの気がするけれど、それも「個性的」だと思える自分にさせてくれたのはこの母のおかげ。
母ちゃん、わたしは母ちゃんの娘で本当に幸せよ。 産んでくれてありがとうな
と伝えると
うわぁ~
そんな事、言ってもらえるなんて
涙でるわ・・・ ずっと迷惑かけてんのにごめんな
と、謝られてしまった。(でも涙は流れていない)
親は親なりに悪いと思う
育てた子供に最後は世話になる(こともある)。 自分がお世話になる立場になればやはり『申し訳ない』と思うだろう。 「親の世話をしている・面倒をみている」と周りからはそう見えるかもしれないけれど、実はそうではないのです。 最後の最後まで親の姿を見られることはありがたいことでした。 人は人生の終わりを迎える時にはこのようになるのだ、と身をもって教えてくれたのです。 父からも母からも何度も何度も「悪いな」「ありがとう」を言われました。 「お世話になる」事はありがたいけれど、肩身が狭く感じてしまうのかな。 そう思う気持ちもわからなくもないこの現代の風潮を身をもって体験させてもらえました。 「死」が近くにない現代では、「死」が遠い存在です。 でも「死」は特別なことではないし、必ずだれもがもれなく体験すること。 だからこそ、死にゆく過程を身近で見ることが出来るというのはとても貴重。 わかったことは「死」は遠いところにあるわけではないし、全く特別な事ではないという事でした。
いつ死んでも悔いはない
母の晩年のセリフです。 母の母、わたしの祖母もそっくりそのまま同じ事を言っていました。 長く生きて生きるハリが徐々になくなるのか? 生への執着が薄くなるのか? 人生を全うして生きたからなのか?
きっと、いつも傍にいるはずの父がいないからだ。
いつ死んでも悔いないわ
どーせ死ぬならお父さんと一緒に逝きたいわ
おとうさんがひとり残ると可哀想やなぁ・・ やっぱりおとうさんの後にしようか。
もうちょっと頑張らなアカンか?
最期はどれでもない道を選びましたが、アッパレな去り際だったのは間違いありません。
母の正体
宇宙人だと思う。
世間体を(気にしているようで)気にしない。 大人なのにルールは(遵守しているようで)あまり遵守しない。 好きな事をして生きてきて、なのにウケがとても良い。 知らない人と打ち解ける時間が一瞬。 争いが大嫌いなので、主張もしない。 そして「愛」が大きい・・
母がこの世を去ってなお、いろいろと母を感じる事に出会います・・