母が突然この世に別れを告げ、11日後に父もこの世を去りました。 親との別れは永遠の別れ? そしてわたしは「ふたりの愛の深さ」を目の当たりにするのでした
その日、朝から電話(母が去って11日)
携帯電話は寝床に置かないわたし
いつものように朝起きて、いつものように携帯画面を見て止まりました・・・・
心臓がドキドキします
もう分かっている
母のときもそうだった
突然やってくるのだ
この世を去る7日前(母がこの世を去って4日)
母が去って初めての面会。 丁度1週間前は「母ちゃん熱出したから今日はお休み」と言ってたのに
ベッドが廊下側から窓際へ移動していた。 外は寒いが、病室の窓側は日差しが入って気持ちが良かった。 でも父の姿はこの1週間で更に痩せていた。 でも声は出ていたし、御葬式の話しもしっかりと聞いてくれた。うん、うんと頷いて話を聞いてくれた。
「元気出そうね、母ちゃんはいつも傍にいるよ」
そう声を掛けるしかなかった
この世を去る5日前(母がこの世を去って6日)
父から
「病院から出たい・・・」
とTELがあった。
父はとても後悔をしていたようだった。 病院は息苦しさを取り除いてくれると思っていたし、元気になれると思っていた ・・・・全くそうではなかった
しかしながら、電話をする元気はあったのです
「ここから出たい」と伝える気力
リハビリ病院への転院の話しで勇気付ける
この世を去る2日前(母が去って9日)
面会日 ・・ 母が亡くなってから2回目の面会
外は天気が良い。 しかし、カーテンは閉められ、病室に入って行っても父はぼんやりと意識が遠い感じだった
視線はどこを見るわけでもなく、空(くう)をみていた
それでもわたしはこの病院からリハビリ病院へ転院する計画を父の横に座って話した。
「この病院から出たい」という願いを叶えるため、2日後にリハビリ病院とわたしとの面談予定を取っていたのです
「父ちゃん、早くここから出ような」
と、声を掛けるとハッと父の反応が戻りました。 この生活が相当イヤだったんだね・・・
その時は知らなかったが、この面会日の2日前高熱が出ていたと面会の後に聞かされた。 このままの状態は痰も多く出て命取りになりうる危険な状態だ、と。 母の死後、急激に体力が落ち、気力も落ちているのが明らかだった。
この世を去る1日前(母が去って10日)
父がこの世を去る前日の夕方に病院から電話が掛かってきました。
なんですと?!
ち、ちょっと待ってください・・・・
それは困ります。 母の死後急激に心身ともに衰弱が進む父。自分で身体を起こすことが出来なくなり、水を飲むことも出来ず(点滴)、このままでは危ない状態・・父の願いは
そして、明日の面会予定の日は同時に転院候補先のリハビリ病院とわたしとの面談予定日でもありました。 リハビリ病院の感触が良ければ父はそこへ転院する予定だったのです。 リハビリ病院の感触を明日の面会時に伝えないと行けないのです! だから病院の言う「面会禁止」を素直に受け入れるわけにはいかなかったのです。
先生に聞いてみます
そして夕方担当医から直接電話がありました
明日からしばらくの間は面会禁止です
今から来られるのなら来てください
担当医から許可が出ました。 普通ならば面会時間でない夜の面会。 夜の病院は初めてだった。 だだっ広い駐車場に車も止まっていない。 救急入口から入り父のいる病棟へ行った。 そして父の病室の前に立ちました。とても静かだった。 時間は夜7時半~8時頃だったと思う・・・
こんな格好で
最後の面会
なぜだか分からないけれど、父は1人部屋にいました。 昨日はいつもの相部屋だった。
コロナだから?(陰性だけど)
広い部屋にひとり、ぽつんと寝ていました。(マスクとって顔分かるようにして近づいて)
「おとうちゃん、来たよ」
声を掛けると、つぶっていた目が開きました。
・・・・・・
(かすれた声で)ん? どうした?
コロナが出たらしく、明日から面会禁止で
先生が特別に会わせてくれるって言ってくれたから
会いにきたの
そうか、それはありがとう
もう声は出ていません。 ささやくような声で話しをしました。 父の大きな手を握って、ガリガリになった顔をなでて、耳元でゆっくりと話しをしました。
あのな、ここから出て行かなアカン
ここにおったらアカンようなる
知っとるさ
あした○○病院の人と面談があるから、良さそうなら転院すぐにしよな
そうか・・ やっと出れるか・・・ ありがとうな
父ちゃん、大好きやで!
早く退院してリハビリ頑張って元気に暮そうな
みんな父ちゃんの帰りを待っとるんよ
・・・・・・・・
(じっと聞いている様子)
明日の面談の様子は何とかして父ちゃんに伝えるからね
面会できるようなるまで会えないけど待っててな
すぐにまた会いに来るからね
わかったよ 頼むな
手を握ってそう言って別れました
いつも優しい笑顔の父は最後も優しい笑顔だった
ごはんも食べられなくなり、液体も飲めなくなり点滴で栄養を取り、声も出なくなり、オシッコも管に繋がれて、それでも「ここにはいられない」と病院から出て行くことを心の底から願っていた父でした
そういって父と別れたのが夜8時は越えていたと思う
そしてそれが父との最後の時間となったのでした
翌日、朝を起きて携帯の病院からの着信で全てを悟るのでした。。
叶った希望
「病院を出る」という希望をかなえた父。 脱出先は「あの世」でしたが希望は見事に叶えられたのでした
後にケアマネージャーさんと話しをした時にリハビリ病院の話しをして驚いた
すべて分かっていたのかもしれません。 意識ではない無意識の領域で・・・
窮屈で言う事が伝わらないこの世界から、母と同じ縛られない自由な世界へ旅立った父
この約10日間、最後の10日間はわたしにとって
悲しみよりも、感謝に溢れる10日間でした
母が亡くなった後に、母の大きさを知り
父の母への愛情の深さを知り
父の強さと優しさを感じ
いつまでも忘れずにこれからを生きようとおもったのです
だから、わたしは大丈夫
しかし・・・・・・・・・
結局ふたりは出会えたのだろうか・・・・
おかあちゃん
おとうちゃん
ちゃんと会えたの?
あれから1年経ちました
2人がこの世を去って1年が経過しました
わたしは元気に毎日を過ごしています
ふたりが奇跡的とも言える同じタイミングに仲良くこの世を去った一連の出来事を
お手本にし、彼らがやっていたように
こんな感じで毎日を過ごしていす
今回は1年前のことを思い出す為に昔の携帯やメールを見返しながらこのブログを書きました。 1年経った今、あの時の父との最後の面会も “偶然” という言葉だけでは収まらない絶妙なタイミングだった
と今更ながら気付くのです(つづく)