【両親の死と子供のキモチ】⑦ 人生の幕引きを無意識に準備するふたり

両親の死

人はこの世に生まれた以上誰でも最期の日を迎えます。 いつになるか分からない最期の日。 でも実は誰でも無意識の中で自分の人生の終わりを知っているのかもしれません。 更に言えば、人生の終わりの準備も無意識に出来るものなのかもしれません。

死後の予定を言い合うふたり

その時は冗談に言っていたのだろうと思っていたけれど、今となれば両親ふたりは確認し合っていたのかもしれない。 普段の会話の中で自然に、笑いながら、冗談っぽく。

みっちー
みっちー

おい、死んだあとってどうなるとおもう?

死んでしもた親・兄弟にも会えるとおもう?

どうなんやろうなぁ~。

ワシの顔みて分かるんやろうか

父)・・・ 多分、見た目が変わっていてもわかるやろ(笑)

何度もこのやりとりを聞きました。 わたしに言ったり、父に言ったり。 父にはこうも言っていました

みっちー
みっちー

おとうさんよ、

死んだあとにもしまた会えるならワシはおとうさんと一緒になりたいわ。

お前さんはどうやな? 一緒になりたい?

父) そうやのぉ(笑)

 

みっちー
みっちー
 

どうせ死ぬなら一緒に死ねたらええのになぁ

一緒には死ねんわなぁ・・

父) どうやろな

 

 

 

無意識の準備

考えれば考えるほどに、無意識の中でこの世を離れる準備が出来ていた両親に驚きです

銀行通帳

☆父、1度目入院前に引継ぎ済 ← 保管場所を教えてくれていました。

「これで今月分の生活費を下ろしてきてくれるか?」

入院はまだしていないある日、父が通帳を渡してそう言いました。体調が安定しない入院前の時期だった。 その時に初めて通帳を渡され番号も教えてもらいました。 いつの間にか家計は母から父へと移っていた。 このタイミングに教えてもらったからこそその後に発生する全ての支払いがとてもスムーズだったのです。

葬儀社

☆入院前に引継ぎ済み 

父「もし何かあった時にはここの互助会入っているからここの葬儀社へ連絡してくれ」

と最初の入院する前に言いました。 会員証と割引券約10万円分が入っていました。 まさか数ヵ月後に使用する事になるとは誰も想像していなかったのですが、今思うと無意識に分かっていたのか?と思います。

運転免許更新(父)

☆更新せずに結果オーライ

父の入院中に運転免許更新の期間がやってきました。 生涯を支えるのに共に生きたと言っても過言でない「運転免許証」は絶対に更新をしておきたかった。 免許の更新については入院中の人は病院からの診断書があれば更新日を過ぎても更新が出来るようになっています。 「無理して警察へ行かなくても退院したら更新はできるから大丈夫だよ」と伝えるとほっとした笑顔を見せてくれました。結局更新することはありませんでしたが・・・

自動車保険・火災保険・生命保険

☆保険の類も不思議なくらいにことはスムーズに….

自動車保険は年に一度の更新があります。 丁度1度目の父の入院中に保険継続確認の電話がたまたま自宅にかかってきたのをたまたまわたしが取りました。 更新1ヶ月前に父は他界しましたが、入院中に保険屋さんと電話で父の状況を話すことが出来、1回目の入院時期から他界するその間は料金を抑えた内容に切り替えをしてもらえました。結局、更新する事もなく無事に契約解除手続きもやっていただきました。

火災保険も車と同じ時期の更新。父のことを知らず保険員の方が家に更新の話しをしにきてもらったのは父の他界してまもなくのことだった。 その時も丁度わたしが実家に行って外をウロウロしていた時に会いました。その方と面と向かって挨拶が出来、口座変更の話も出来たのであっという間に手配も終わりました。

生命保険は両親とも加入していませんでした。なので手続きする必要もありません。

※ 銀行・保険の契約変更や解除については口頭で簡単に出来るわけではありません。本人確認等は必要です。

メモ帳

メモ帳は今も重宝してます。

父が残したメモ帳があります。 畑仕事の覚書や出かけた月日や場所などの記録。 几帳面な性格がよく表れているこのメモ帳は現在もとても助かります。 野菜の種蒔きの時期、毎年行っていた花見の時期、竹の子取りの時期、親戚の近況など、ちょっと「知りたいなぁ」とこのメモ帳をみると答えがそこにあります。

介護施設・ディサービス・病院(母)

☆母の『絶対に行きたくない』3大巨頭介護施設・ディサービス・病院、 見事にお世話にならず。

ここは親と子の駆け引きが行われるテーマです。 しかし、これもまた彼らの意思が全て願い通りに叶いました。 入院している父はさておき、母は5年前の肺がん手術や同時期に転倒による頭部打撲、腰の骨折と災難が一度にやってきていたあの頃から家事を父がするようになりました。 そして、療養という名目で横になる時間が増え、徐々に認知の疑いが現れてきました。母の場合は直近の記憶、特に興味のないものの記憶はすぐに消え去ります。しかし、昔の記憶や気になる事に対する記憶はずっと残ります。

介護支援認定申請をしました。 面談と言って、市の職員が家へやってきて両親、家族から色々話しを聞き調査します。 父の退院しているわずか10日間の間に日程調整が整いました。 願わくばディサービス等のサービスを受けてくれたらわたし自身の時間も増えるし両親も医療者のいる施設で時間を過ごしてもらえるなら安心でウィンウィンだね~なんて娘のわたしは思うけれど、どうも介護される側はそんな風には思わないらしい。  親の心と子の心はすれ違い・・・ 特に母は

絶対に行きたくない!                                  町内の友達と話してる方が楽しい!!                           心配せんでもどうにでもなる!!!

これは最後の最後まで言っていました。 後に母は「介護」認定もらったけれど、結局お試しで1回行っただけでディサービスに通う前にこの世を去りました。 母の願いが叶った事は本当に嬉しいことです。

病院嫌い、医者も薬も注射もとにかく嫌い。 嫌いなだけあって風邪で寝込む事はほとんどありませんでした。 肺がんの再発の指摘もありましたがこれ以上の治療はしませーーん!と、治療拒否。 最後の方は咳も多くなってきましたが必ず笑顔で

みっちー
みっちー

大丈夫! すぐにおさまるから

と言っていました。 その通り、しばらくせき込むとそのあとは静まります。 「苦しい」と一言でもいうと必ず私が病院へ連れて行くと思い、咳をしても苦しいと言う事はありませんでした。

病院のお世話になったのはこの世を去る4時間位の間だけ。 この病院での時間が母にとっては一番苦しかったと思う。 なんせ病院へ運ばれたときの検査で「多臓器不全」となっていたのだから・・・酸素が血中に流れず臓器が働かない状態。 そこで無理やりにマスクで酸素を送られます。 そのマスク装着中が唯一と言っていいほどに一番苦しい表情だった・・・。

介護施設(父)

父と母の共通のケアマネージャーさんがこの2人の性格にあった終の棲家はどんなものか・・・を模索して下さっていました(結局用はなかったのですが)

母は性格上どこへ行ってもなんだかんだで誰とでも過ごせるタイプ。 しかし神経細やかな父にはあまり騒々しいところは合わないだろう。。。 と、ケアマネージャーさんも考えて下さっていたらしい。 勿論そのような施設のお世話になるのは遠い先の未来。 しかし、職柄上『この方にはこんな施設が合うかな?』と考えてしまうらしい。

もしも、万が一、父が残った場合ならばこんな施設がいいのかな?

と、考えていたところを二人が亡くなった後に見せていただく機会がありました。 それがとてもとても施設とは思えない、落ち着いた平屋の一軒家でした。 今ではもうほとんど見ることの出来ない縁側があって石の踏み段があり、昔にタイムスリップしたようなステキなおうちでした。

イメージ図

さぁ、ここからふたりは急速に無意識に用意された目に見えない糸に、道に誘導されるかのようにこの世界からの幕引きをします。(つづく)

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