【両親の死と子供のキモチ】 1度目の入院後半戦  父編③

両親の死

病院にいても体調が悪化するだけじゃないか・・と、いうことで父の退院へ向けての準備がはじまりました。順調にリハビリをして驚く回復をみせた父だが、退院日が決まると急激に体調変化が。

生前「死後の世界はどうなるのだろう? あの世があるのならまた一緒に生きたいなぁ」と言いあっていた父と母がお送りする人生最後のサプライズストーリーです

さぁ退院に向けて

父が入院してはや3週間が経過。 歯医者での治療も終え、父の退院に向けての最終体調検査が始まりました。 今回の入院で分かったことは、

★ 希望していた酸素も体内へ入れてもらえない

★ 自由に歩けない

★ 眠れない

★ 家族に会えない(面会が平日の週2で時間制限&人数制限あり)

★ 体力が弱っていく

おおきん
おおきん
 

いいところがひとつもないね

退院の日が近づいてきているけれど、体調は戻りません。 帰りたい気持ちで一生懸命リハビリで歩く練習に励む父。 入院3週目には帰ることだけを考えて歩く練習をしました。 そして今までになく歩くことに燃えました。 今の調子で自宅に帰っても、迷惑を掛けてしまう。 すこしでも体力を戻していこう、そう考えていたのかもしれません。この2週間の入院では考えられないほどに頑張り、顔色も赤みがさして精気が戻ったように思えました。 病院スタッフさんも認める顔つきが「明るくなった」。 しかし、比べてみると入院前よりははるかに弱っていたのです。

ここが変だよ病院ルール

入院経験がない人にとって、病院が提示するルールはとても世間離れしていて驚きです。 病人がいる施設なんだから当たり前だよ。・・・・ではないのです。 新型コロナルールが2024年現在も健在なのが変なのです。 2023年に新型コロナは2類から5類へとレベルダウンしましたが、2024年2月現在も世の中はマスクを外さない人がとても多いことを考えると、病院のこの対応・・仕方ないのかもしれません。 いつやめるのだろう、このルール。

コロナ陽性者でたら隔離 

まだまだやっています。 新型(旧型?!)コロナ対策の一環です。 病室で誰か陽性が出た瞬間から同じ病室の患者さん(陰性含め)の家族達も面会が出来なくなります。同室の患者さんへ全員検査を受けることになります。。

荷物預かり日

週に一度の3時間という制限の中で入院患者への荷物を預かるブースが開かれます。 面会時以外で荷物を患者へ渡せるのはこの週に一度です。 仕事をしている人なら「はいすぐに」とは渡せないのが現状。このブースの為に専任スタッフが配置されています。

面会日

週に二度のチャンスは平日の午後30分・家族2人限定。 平日仕事で休めない人は全く会うことは出来ません。 荷物預かりと同じで面会ブースで受付をします。昔のようにナースステーションへ行き「面会に来ました~」という流れはすっかりなくなりました。

先生からのお話し

入院したときも当日に先生と直接お話しはしません。「いつ話しが聞けるのだろう」と思っていたら突然電話がかかってきます。やっときた病院の先生からの電話だとわかると運転中でも「聞かないと!」という心理が働きますので全く落ち着いてお話を聞けなかった、という記憶があります。

マスクお願いという強制

病院で先生からのお話し時間を設けられた際の会話・・・ 「コロナ怖いです!」と先生がおっしゃました。マスクに関しては「お願い」と院内には貼ってありますが、ほぼ強制です。「息苦しい患者にもマスクが必要ですか?」と聞きましたが「はい。感染したら怖いです」との回答でした。 先生とのお話しの後、ドアを開けると廊下にはマスクをずらして歩く患者さんが歩行器を持って歩いていらっしゃいました。。。

それでもナースや医師達にマスクを装着するように言われます。 患者がマスクで苦しい事への配慮は一切ありません。 コロナ騒動前はこんな事はなかった。

希望

希望を持つことは生きるためのエネルギーとなる。 父の頭の中には退院したら「整体」を受けて体の凝りや歪みを改善させて体内隅々までに循環していないだろう血流をとにかく流そうという計画がありました。入院前の1ヶ月の自分の体の変化を考え、この1ヶ月の入院した自分の体調と比較すると体の中を整えることが体にとって良いのではないだろうか。という結論を持っていたと思います。 退院したら「なんとかなる」そう思っていたに違いない。

散髪

病院内にはコンビニもあれば理容室もあります。 退院前にリハビリも兼ねて院内の理容室で洗髪をしてもらいました。 丁度面会時間前に予約をしていたので、見学をしようと母とわたしは父のいる理容室に入りました。 すると何やら理髪師の女性と父が話しこんでいる?!「どうする?」「やる?」「やめとく?」「やるやわ」「う~~ん」話しを聞くと1000円足したら髭剃りや散髪も出来るからするかどうかの話だったのです。 

父はその1000円が勿体無いと感じていたようでした。 わたし達には常日頃「必要な事には迷わずお金は使え」と言っていた父が自分の事で使う1000円を悩んでいたと知った時、心が泣きました。 入院やら何やらで出費がかさむことに後ろめたさがあったのか。

その会話を聞いたわたし達はすぐさま

「全部やってください!お願いします!!」

温かい蒸しタオルにくるまれた父の嬉しそうな顔は今も忘れられないほど幸せな顔でした。マッサージをしてもらっているときに理容師さんがわたし達に

「お父さん、家族に迷惑懸けて申し訳ない、申し訳ないってずっと言ってらしたんやわ」と教えてくれた。 

全然迷惑と違ったよ。父の色んなことを知れたこの期間は今も宝です。迷惑なんて一度も思ったことない。

さぁ自宅へ帰ろう!

万全に!と思った矢先の退院予定1週間前、父の体調がまた悪くなってきました。 久々の自宅に緊張をしているのか? あれほど担当医や看護師からいただいていた「調子が戻ってきた」というお言葉。 本人には喜びからプレッシャーに代わっていったのかもしれません。

しかし、入院しているこの病院は救急指定の病院です。長居はできません。治療法もないのに入院を続けるわけにもいかないのでした。 

さぁ、母ちゃんの待つ大好きな我が家へ帰りましょう!

退院の当日は入院病棟から病院の出口までの長い距離をゆっくりゆっくり杖をつきながら母と私と一緒に歩きました。 お世話になったスタッフの方に御礼をし見送られました。 とてもよくして下さった看護師さんは目に涙を浮かべて喜んでくださいました。

「一か月間通ったこの病院での面会、今日で終わりだ」

心の中でつぶやきました。 本当に嬉しかった。 

しかし、この10日後にまた戻ってくることになるとは、この時は誰も思っていなかったのです。  (つづく)

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