【両親の死と子供のキモチ】 そんな事ってある?! 父編①

両親の死

自由で楽しい事が大好きな母ちゃんと、真面目で心優しい父ちゃんが突然この世を去りました。その差11日。11日差は愛と気合と約束からなのか? 昭和のじい様とばあ様はきっと今も楽しく一緒にいるのでしょう。

息苦しい父のキモチ

2022年の年末に

「息苦しい!! さんそ、さんそが・・・・」

そんな苦しみを訴えたうちの父ちゃん。 今年2023年2度の入院生活をしました。検査をしても内臓には問題がない、強いて言えば「年相応の臓器」つまり、老化していることだった。

2019年 心臓のステント手術

令和元年、息苦しさに違和感を感じ地域の大きな病院で検査をしてもらった結果、心臓部分の血管が詰まり気味っということでステント手術をしました。 息苦しさもコレで解消!と思っていたが、全く解消されずがっかりしていた父の姿を思い出す。。

日課にしていた散歩も息苦しさの為にやめてしまった。運動を止めてしまったことが更に体調を悪化させていったのかもしれない・・・ふり返るとそう思ってしまう。

肺の水

2023年、1度目の入院で色々な検査をした。 心臓や肺、肝臓や、胃、腸などなど。(2023年にもなっても病院はコロナ対策をしている為、先生と直接お話しする機会はなかなかめぐってこない。突然入る電話に焦り、ハイハイ・・・とテンパリながら先生の内容を理解しようとするだけで、記憶に残れなかった情報も多かったと思う。

そんな中、昔のステント手術をしたときのレントゲンを見て、医師が

「このころから水が少しありますが、今、量は逆に少なくなっている・・・」と。 とすると肺に水があるから息苦しいわけでもなさそうだ。と、同時に「アスベストの数値がある」と。

「アスベスト・・・」

父はトラックのドライバーで主に砂利を工事現場まで運んでいました。「それが原因?」もう現役を引退して15年以上。 建設/解体現場で働いたわけでもない、行ったりきたり車を走らせるだけの運ちゃん。 過去のそれが原因かどうかは今更分かるはずもなく、「ああ、そうですか」と言うだけの父とわたし。

誰も証明が出来ない病気の原因。 そりゃそうだ。 人間、一人として同じ身体はいない。 身体に良くないとされているものを食べたとしても、それが原因で病気になる人もいれば、ならない人もいる。 要はその人の持つ身体との相性だ。現在では新型コロナワクチンを接種後に体調を崩されたり、突然の免疫不全、突然のターボ癌、突然起こる病気が多くなった。 ワクチン接種後にこの世を去った人も沢山いる。 が、このワクチンが「直接の原因」と決めることは非常に困難だという。 接種後に亡くなったとしても、「ワクチンが原因」と証明出来ないという不可思議な世の中で、何十年も前のものが原因かもしれないといわれても、それを証明出来るわけもない。

2023年9月末 1度目の入院 (父)

2023年の夏は試練の夏だった。 体が急激に自由が利かなくなり、息苦しさが増してきた。かかりつけ医には点滴をしてもらいにいく日々(栄養剤と言われていた)。 点滴も最初は息苦しさがなくなった気もするが、最初だけ。日が経つと点滴をしてもらっても、点滴直後から息苦しさに襲われる。 歩くのも大変になってきた。食事もあまり食べられなくなってきた。かかりつけ医から言われるのは

精神的な事ではないかと・・

だった。 ”精神的なこと” という言葉はとても便利なようです。 特に医師にとって。 原因が分からないときに多用されるとも聞く言葉、それが

精神的なこと

7月くらいから急に体調が下降してきました。 座っていることがしんどいようになり、ソファに寝転ぶ時間が徐々に長くなっていくのです。

あれほど自信のあった車の運転ですら、危なくなる時もあった。

OS1と整体

7月から8月はかかりつけ医の先生(車で1ー2分)へ通った日々。 周りや娘に迷惑になるといけないから、と自分で運転をしていた父だった。 8月にはほぼ毎日点滴(栄養剤)に通っていた。 お盆休みに入ると病院は長期休みになる。 その頃、体調は加速するように悪くなっていった。 かかりつけ医のいいところは連絡が常に繋がれるところだ。 先生には申し訳ないが、お休みでも点滴をお願いすると受けられた。 だからといって、何も快復するわけでもなかったのだが。気休め点滴になりつつあった。

わたしの友人で整体をやっている子がいる。 それを生業としている友人だ。 1ヶ月ほど前にもわたしの住んでいる近くで健康市場?を週末開くので暇なら来て頂戴、と連絡があったのを思い出した。 

おおきん
おおきん

そうだ、一度聞いてみるか?

早速友人に連絡をし、症状を伝えると、その友人の父親に症状が似ていて、その父親は現在回復の途にあるという。

良くなるかどうかは分からないが、一度施療させて

と、ありがたい言葉。 急いで日程を合わせてもらったその施療日は、実は復調の兆しが無く父の心が折れ、入院を覚悟した日でもあった。

「救急車呼ぶのも、大きな病院いくのも自由だけど、一度整体だけしてもらわない? ダメ元なんだから大きな病院へいく前に一度試してみようよ」

と言った。 父は

「そうやな」

と頷いた。

回復

整体は父には合っていたようだった。 通常受ける1セット/日の施療を2セット/日やってもらい、それを週に3日やってもらった。 最初の週は

「あまり良くない。 変わらない」

と、言っていた。 が、友人曰く、

「自律神経が機能していないのでは? 首から背骨周辺がコリでカチカチだ。 姿勢もかなり傾いている。 血液が体内を循環するには体があまりにも硬い。上半身(主に首上)は熱くて下半身は冷たいし。循環も上手くいっていないし、これじゃああまり眠れないよね。。とても苦しいと思うわ」

その通り、父は息苦しさもありぐっすり眠れないし、自分の体がどうなってしまうのか怖くて仕方がなかったのかもしれない。

2週目には良くなってきた。すぐに歩きまわれるというのではないが、寝ころんでテレビを見ている時間も

「座ろうか」

と思える時間が増えてきた。 施療してくれる友人も父の笑顔をこの時に初めて見た。 そんな自分の身体の変化が嬉しかったのでしょう。 あれほど点滴がないと「もうダメだ」と言っていたのにあっさり毎日の点滴(病院通い)をやめた。 同時に飲み始めたOS1という経口補水液が脱水症状気味の父の身体を助けたのかもしれない。 少しではあるが変化も見られ、家族も喜んだ。

施療をしてもらった時はかなり良くなる。 しかし、これまで蓄積してきた懲りや姿勢はそう簡単に戻すことは出来ません。 とにかく時間を掛けていかないと・・・。今度は施療してもらった直後とすぐに戻っていく体調のギャップに悩まされ始めました。

苦しい・・・

施療を始めて1ヶ月。 息苦しさが戻ってきた。 「間違ったことはしていないのに、どうして苦しいのか。。」 きっと父はそう思っていたはず。 理由は誰にも分かりません。 でもまたあの息苦しさが父を苦しめ始めました。 施療がない日、今までにない息苦しさに襲われ遂に父はこう思う。 

酸素ボンベが助けてくれるかもしれない。 病院で検査をしたら何か分かるかもしれない。

病院へ行き、そのまま入院となりました。。。

しかし、父の思いとはウラハラな病院からのお言葉。「血中酸素は十分にあるので酸素は入れられない。息苦しい理由が分からないので調べます。」「調べてみたが、肺は年相応の老化をしているが致命的原因とはいえない。アスベストの数値が出ています。呼吸が苦しいのがこれなのか。それが致命的な原因かというと、う~ん。 ほかの臓器も検査をしたが、悪いところが見当たらない。 なぜ苦しいのか分からない。。。。。精神的なところからきているのでは?」

”精神的なところからくる”という言葉

またこの言葉。 かかりつけ医も同じ事を言っていた。

そしてこの言葉・・・。 他の場面でも聞き覚えがあった。 新型コロナワクチンを接種した後に体調不良に陥り、病院で色々と検査をしても原因が分からず、そういったときに多くの医師が相談する患者さんへ出たのもまたしてもこの言葉

「精神的なところからくるのではないか?」

心と身体は繋がっているから、そうなのかもしれません。 しかし、検査結果に異常が見当たらないと「精神的な問題」と決めてくる流れにはとても違和感があった。 そして、今回は父の体調に対してこの言葉。 しかし、この医師の見解は間違っていた。 それは父がこの世から去る数日前に医師が言った言葉が物語ります。それは追々話しますが・・・。

「精神的なところからくる」といわれた父はショックだったと思います。色々と検査をした後にそんな言葉が結論なのか? 

踏んだり蹴ったり

まさにそんな感じ。 そして、父にはとても心配な事があった。 それは

戦前戦後の日本は大家族が当たり前。 この世に生まれた母(10人兄妹)も大家族。 一人暮しなどした事がない。 母には5年くらい前の肺がんも再発しているし、また認知症の疑いが現われてきていた。 父はとても母を大切に想っていたし、自分自身の事のように母を心配をしていたのでした。 父がどれほどに母の事を想っていたのかも数ヵ月後によく理解できるのですが、この時は目の前の父の体調不良の「回復」を家族全員が願っていました。

わたし達が父の回復を願うとき、父の感情は多分・・・いや、絶対に

アカン! こんなところにいてもどうにもならない!! 家へ戻る!!!

だったのでしょう。

この決意は父の体に変化を与えました。(つづく)

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