高い波動へ行くには「愛」が必要というけれど、結局「愛」ってなんだっけ?
「生きる」ことは経験をすること
コロナ茶番のおかげで、すっかり「生きる」という事の自分なりの「意味」を見つめなおすことができた・・かな? わたしの中では「この地上に何をやりにきたのかを探すために気になる事をやってみる」・・と、わかっているようなわかっていないような(笑)
また、スピリチュアル世界や波動の世界や精神世界、不思議な異次元世界の情報をこの3年間に沢山知ることができました。
それぞれの分野の人たちがそれぞれの発信方法で情報をあたえてくれる。それぞれの表現は違っていても、共通点も多い。
この人の言う「世界観が好き」とか「腑に落ちる」とか「そんな気がする」とか。発信者が違うので表現の仕方・内容は少しずつ違っているけれど、でもすごいよね。 世界中の人が
「愛が重要」と叫んでいる。
だからと言って、すべての人が愛をもって生きていかないといけないわけでもない。
と、いうところが面白い。良いも悪いひっくるめてすべては経験なのです。
人生いろいろ。
愛のない心でカラカラの人生だって、それでもいい
トゲトゲした人生だって、それでもいい
それが自分の心の底から望むものであるなら、それでもいいんだ、と。
しかし考えてみると「愛」ってなんだろう。 この3年間、よく耳にそして目にする言葉
「愛」。。
「愛」って?
この世の中は現在二極化の世界にガンガン別れて進んでいることに気付いている人がこの世の中にどのくらいいるのだろう。
自分の進む道がどこへ向かうか分からずにただただ進んでいくということは、地図ももたず、ナビも入れず、目の前の道をただ単に走っているようなもの。
ちょっと怖いわね。
波動の話しだけではなく、3次元とか5次元とか精神とか神秘の話しには必ず、絶対、間違いなく100%でてくるワード
「愛」
高い次元、高い波動には「愛」がなくてはいけません、と。
そうだ、ふむふむ、よし愛を持って生きていくんだ
と、思ってふと立ち止まる。
「愛」とは結局なんなんだ?
「好き」はよく知っている。
「これ好き、あれ好き」
でも
「これ愛してる、あれ愛してる」
なんて言葉はそうそう・・・というか、絶対に言わない。 恋愛映画ではよく聞きます
好きが物凄い割合で、四六時中好きな人に向かって
「愛している」
でも、歌でない限り、日常生活で日本人がそんな言葉、なかなか言わない。
波動関係やスピリチュアル界で言われる「愛」はもっと、こう・・・・愛する人へ熱烈・感情的な
愛してる!
とは違って、こんな感じだと分かってきた。
↓
そんな中、最近出会った本にはこう記してありました。
エゴを超えていくと愛になる
魂の法則 / ヴィンセント・ギリェム
「愛」それは・・・
「愛は無条件である」「愛は見返りを期待しない」「愛は自由」「愛は私益を期待しない」
そう記してあるのは「魂の法則」です。
著者はヴィンセント・ギリェム氏。スペイン生まれ。ヴァレンシア大学 生化学博士 現在は癌遺伝子に関する研究をしている
彼の体験を元に作られた本作品は無料でダウンロードも可能(↓下部参照↓)です。
次元の話で必ず登場する「愛」、本書でも「愛」の重要性が語られています。
この本によると、「愛」というのは我々がもつ「エゴ」を手放したところにあるようです。
また今の世の中では「エゴ」を「愛」と思わされている、と。
では、「エゴ」って一体なんだろう?
著書無料ダウンロードURL
うわっ、宗教っぽい! と思わずに読んでみる・聞いてみると自分の中にある疑問の解決のヒントが見つかるかもしれません。
魂の法則の続編「愛の法則」は更に愛の感情について記されています。こちらも無料ダウンロードができます(声優さんの声が眠りを誘う)
↓
エゴを手放す(魂の法則より)
「エゴ」とは他人の迷惑を考えず自分の利益のためだけに行動するやり方、考え方と、辞書にはかいてある。執着心とも言われます。
このエゴ(執着心)は「愛」とすり替えられて、現在の人々は「人の為の自己犠牲(エゴ)=愛」と思わされています。しかし、イザヤは「自己犠牲の上の他人への愛は存在しない」と言います。またこのエゴにも種類があります。それは大きく3つに分けられます。
3つのエゴを手放そう。
虚栄心・自尊心・自負心を一つずつ手放すと、本来の愛に近づく?!?
ごちゃごちゃ考えないで、さぁ感じよう!
①虚栄心(見栄)よ、さようなら・・注目大好き! 相手の気持ちは関係なし! 自分本位で他者には関心なし。 「愛」と「おだて」の差がわからなーい。人より上に立ちたい。注目されないと「おどし、ウソ」など平気でいいます。知り合いは多くても、友人はいない。 虚栄心(見栄)を手放すには→自分と同じ虚栄心を持つ人たちが周りにいます。相手をみると自分がやってきた事を客観的に見ることができ、自覚し、是正したときに虚栄心を克服できる
②自尊心(プライド)よ、さようなら・・ちやほや愛は卒業している。うわっぺらの友情より一つの友情の価値を大切にする。しかし自分の間違いを認めることが困難。また自分を犠牲にして人を喜ばせる事を「愛」と勘違いしている。愛は分かっているつもりだが自分が傷つく事を恐れる。深く傷ついてしまうと「もう人を愛せない」「自分は愛されない」と殻の中に閉じこもってしまう。 自尊心(プライド)を手放すには→自分が自尊心(プライド)を持っていることを自覚する。そして思考を変えればいい。自分と他人の思考は全く異なっているものだと理解する
③自負心(尊大)よ、さようなら・・・「謙虚」の欠如。愛は分かっているつもりだが受け入れてもらえないと怒りに変わる。 一生懸命助けてあげた人から裏切られたり、バカにされたと感じるとその相手への「愛」と思っていた感情が「怒」りに変わる。こんなに愛してるのに、なぜ分からないんだーーー!!!状態
人を愛する前に、自分を愛する
真に愛するためにはまず自分自身を知る事が非常に重要である:自分を大切に出来ないのに、他人を大切には出来ないのです。 好きな人の為に自分を犠牲にするのは本来の「愛」とは違います。 反対に自分のために誰かが犠牲を払っているのだとすると、それも「愛」ではないということです。(※犠牲と思わなければいいのでしょうが、「これだけやったンだから!」と思ったらその時点で愛ではなくエゴだということです)さぁどうですか? 自分が家族、配偶者、恋人や友人へ持つ感情にエゴが入っていないでしょうか。何か見返りを期待していないでしょうか? 彼らの反応に自分の感情が揺さぶられたりしていませんでしょうか?
そしてあなたは自分の事を大切に扱っているでしょうか。チェックチェック!
愛とエゴは真逆である もしも愛する人が、自分のもとを去りたいと願うなら、愛する人を自由にさせることが愛。人は皆、誰にも縛られず、自由な存在であるべきなのです。究極は自分を憎み蔑んだ相手など含めた全ての存在を愛する・・・それこそ神の域ですねぇ。。
波動の高さは愛の割合の多さ
では、波動と愛の関係は?というと、
魂の法則から読み解くと、エゴを捨てると愛の割合が増えることになります。
あなたの波動はどのあたり?
愛の割合が高い人たちの集まりは、「自由意志」をとても大切にする集団です、それは自分に対しても相手に対しても同等の自由を尊重します。 ”自分さえ良ければ” がありません。相手のために自分を犠牲にしようという気持ちもありません。自分のことは自分で決める。人の決断にケチはつけず(無関心とは違います!)、尊重する。自分のことも他人のこともとても大切に扱うことが当たり前の感覚。
さぁ、どうでしょう?
「類は友を呼ぶ」という言葉があります。自分を知るには付き合う仲間を見るといいかもしれません。
波動の高さがどのあたりかは分からないにしても会うといつも楽しい雰囲気になり、気の合う仲間と笑いあうことが出来るのであればはきっと自分と同じような愛の割合の波動なのでしょうね。
いがみ合ってケンカばかりの関係性、命令してばかりの人と言う事聞いてばかりの関係性であれば、人を責める前に自分の考え方をチェックするといいかもしれません。「愛」と思っていてもそこは「エゴ」の世界と気付くかもしれません。
マイペースマイペース
「魂の法則」によるこの地球上に住む人はエゴのところをウロウロしている人たちが総人口の4分の3もいるとか(笑)。
そうなんです、「自分の感情を自由に表現する」「愛情をどんどん表現しよう!」なんてことを教わっていないわたし達には当たり前の数字かもしれません。いつも周りの反応に気を遣うように、周りの目を気にするよう教えられているのだから。愛を学びたいならば、自分に正直に。 愛を知りたいならば、自分を知ろう。 愛が欲しいと思うなら、惜しみなく愛を人に与えてみよう(見返り期待しないでね)。愛は与えれば与えるだけ、不思議と自分にどんどん戻ってくるようです。
「愛は無条件である」「愛は見返りを期待しない」「愛は自由」「愛は私益を期待しない」
ありがとうございました。