小学校時代の先生に感謝しています -教室はまちがうところだ 蒔田晋時-

宇宙由来の子育てblog

小学生だった頃に先生から教えていただいた詩を思い出す

学校の意義

小学校では今までにない生活が子供達を待ち受けます。 毎日の授業。 時間に縛られた生活。 共同作業。 競争。 友達との出会い。 他人を認める事。 他人と自分の考えが違う事。 友情 などなど。

わたしの小学時代は特に頭脳明晰でもなくごく普通の人間でした。 先生が質問をしてもあえて手を挙げる事もなく、どちらかというと間違えた答えを言ってしまった時の同級生の反応に怯えていたことの方が多かった。 

そんな小学生の頃に出会ったシオムラ先生。 図体が大きくて、コワモテの先生でしたがこの先生の生徒になり、その教室に貼られた詩にとても勇気をもらった記憶があります。 今でも覚えている

「教室はまちがうところだ」

教室はまちがうところだ  作・蒔田晋時

この詩は長いものですが、教室にはその一部(赤色蛍光アンダーライン箇所?)が黒板の上に大きく貼られました。

教室はまちがうところだ
      蒔田 晋時(まきた しんじ)

教室はまちがうところだ
みんなどしどし手を上げて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか

まちがうことをおそれちゃいけない
まちがったものをワラっちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃあないか こうじゃあないかと
みんなで出しあい 言い合うなかで
ほんとのものを見つけていくのだ
そうしてみんなで伸びていくのだ

いつも正しくまちがいのない
答えをしなくちゃならんと思って
そういうとこだと思っているから
まちがうことがこわくてこわくて
手も上げないで小さくなって
黙りこくって時間がすぎる

しかたがないから先生だけが
勝手にしやべって生徒はうわのそら
それじゃあちっとも伸びてはいけない

神様でさえまちがう世のなか
ましてこれから人間になろうと
している僕らがまちがったって
なにがおかしいあたりまえじゃないか

うつむきうつむき
そうっと上げた手 はじめて上げた手
先生がさした
どきりと胸が大きく鳴って
どぎっどきっと体が燃えて
立ったとたんに忘れてしまった
なんだかぼそぼそしゃべったけれども
なにを言ったかちんぷんかんぷん
私はことりと座ってしまった

体がすうっと涼しくなって
ああ言やあよかった こう言やあよかった
あとでいいこと浮かんでくるのに

それでいいのだいくどもいくども
おんなじことをくりかえすうちに
それからだんだんどきりがやんで
言いたいことが言えてくるのだ

はじめからうまいこと言えるはずないんだ
はじめから答えが当たるはずないんだ

なんどもなんども言ってるうちに
まちがううちに
言いたいことの半分くらいは
どうやらこうやら言えてくるのだ
そうしてたまには答えも当たる

まちがいだらけの僕らの教室
おそれちゃいけないワラッちゃいけない
安心して手を上げろ
安心してまがえや

まちがったってワラッたり
ばかにしたりおこったり
そんなものはおりゃあせん

まちがったって誰かがよ
なおしてくれるし教えてくれる
困ったときには先生が
ない知恵しぼって教えるで
そんな教室作ろうやあ

おまえへんだと言われたって
あんたちがうと言われたって
そう思うだからしょうがない
だれかがかりにもワラッたら
まちがうことがなぜわるい
まちがってることわかればよ
人が言おうが言うまいが
おらあ自分であらためる
わからなけりゃあそのかわり
誰が言おうとこずこうと
おらあ根性曲げねえだ

そんな教室作ろうやあ

この詩を黒板の上に貼ってもらうと、先生からの質問に「間違えても大丈夫」と思って手を挙げた・・かどうかは忘れましたが(笑)、勇気をいただいたのは間違いありません。 この詩によって、教室が活気に満ちたかどうかも分かりませんが、このクラスはとても大好きであり、今でもこの詩を思い出すという事は子供なりにかなりのインパクトを受けたのも間違いなし。

先生は間違わないで・・・

世の中では子供にとってなんの脅威にもならないウィルスを、ある一部のチャリンチャリンできる大人達が作り上げたウソにより「話をすることが悪」「ノーマスクが悪」「くしゃみすることが悪」などと印象付けられる始末。 実際に健康な子供達の重症率・死亡率をみればいかにただのウィルスかよくわかる。

健康子供にとって何の脅威にもならないウイルスのに。 

メディアと政府がクルクルになってすでに2年7か月。病気でない子供達が毎日マスクの半強制。 息苦しく学校生活を送ります。 「慣れた」とか「マスク外すの面倒くさい」という子供達も現れています。それを「仕方がない」と思う大人もいます。 大人達によるマスク半強制させられた結果なのに。 子供の時代は人間の一生のうちのほんの一瞬でかつ貴重 その一瞬の呼吸の自由・行動の自由を奪うこと。 正解ですかね。(チガウ!)

子供達は色んな間違いや失敗をしながら、それでもいいんだと思いながら成長をしていってほしい。しかし、マスクの半強要は不自然です。 教室は間違って構わない、むしろドンドン間違って、それを許し、笑いながら、沢山の事を学んでほしい。 でもね、先生。。。

子供の笑顔が見れない世界になっている。 これでいいのかな?(なワケナイ!)

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