死んだらどうなる
わたしが小学生の時、夜布団にはいるとやってくる疑問
「死んだらどうなるんだろう」「お母ちゃんが死んだらわたしは生きていけないくらいさみしい」「どうしよう・・・」
と、考えたら涙がポロポロと出て大変でした。 それほどにわたしは母ちゃんが大好きで。それから約40年・・・・ 相変わらず母ちゃんが大好きなの、わたし。
しかしこのコロナで目覚めてきたおかげで、死んだあとがどうなるのか。 これには超次元ライブ様のおかげでわかりました。 実際に死を体験したわけではないのに、この動画を見てみると「これだ」とわかってしまったのです。分かったというのは頭で理解するわけではなくて、本当に心で理解できるというでしょうかねぇ。。。
👆をご覧いただきますと「死後」の心配がなくなります。信じるか信じないかはまさに「あなた次第」
母の癌について
わたしの母ちゃん”みっちー”は去年肺がんの診断を受け、手術を受けました。
初期の癌で、簡単な手術だろうと。
本人は全く症状なく寝耳に水だったと思う。 病院の勧めは大きく、素人の病人には「はぁ、そうですか」という具合に手術の日が決まり、あっというまに当日でした。 予想よりは大きかった癌らしいです。
大の病院嫌いのみっちーが、コロナのせいで付き添いもなく、80歳を超えての手術。。。
ほんとうにこれは正しい選択か?
先生、80超えた老人で初期らしい癌。
ほんとうに体を切って取り除くほどのことなのかい?
昔、「老人は癌の進行も遅い」と聞いていたし。
リスクはどっちのが大きいの
結果、みっちーは無事に手術を終えました。
しかし、術後約半年かそこら。 経過観察でまた引っかかるのです。
「転移かもしれませんので検査を」
もう心には不信感しかないのです。
「医療ビジネス」という言葉があるなんて、最近知りました。
これもコロナのおかげといえばそうなんだけど。。。
コロナで知った「超次元ライブ」様さま。『癌なんて出来ては消えるもの。いちいち検査なんてするから見つけられ、見つけられるとビジネスのレールにのせられる。』まさにそんな感じがするのです。
今はインターネットで情報を得ることが簡単にできる。 内容が本当かどうかはよく調べないとなんとも言えないけれど、「医療ビジネス」は立派に存在し、それが国家を支えるほどの巨大ビジネスと化していたなんて、
そんなんしらんわ!!!!!!!!!!!!
そんなん知らんだけれど、調べてみるとやはり出てきます。
癌死は先進国では日本ダントツだなんて・・・
そんなん知ってます?
この国がどんな国なのか、このコロナでよく分かりましたわ。
母ちゃん、そんなに腐らんと・・・ コロナがあったから知った新情報やで~
下の動画はソレを簡潔に紹介してくれてます。
お年を召したら、キバって検診せんほうがいいかもね。
誰もがとおるみち
「死」は「生」を受けたら必ず最後にやってくる。
せっかく生きるのならば、日々「悔い」の残らない毎日を過ごすべきなのです。
もしも、毎日を悔いなく生きていたのならば、死が突然訪れたとしても、きっと受け入れられるのでしょう。 しかし、色々と我慢ばかりをして、やりたいことを「後まわし」にしてきた人生ならば、死が突然訪れた時、なんとも言いようのない「後悔」や「虚しさ」に襲われるのでしょう。。。
だから私は・・
ダイエットはやめておこう!
死の直前に「●●が食べたかった・・・」
という後悔だけはしたくないわ(笑)!
のりぞーにも出来る限り「やりたい」と言った事はやらせてあげよう、と思う。
後悔のないように
中高校生のときにやっていた深夜海外ドラマ「女刑事キャグニーレイシー」のファンだったのです。
その中で言っていたセリフが大好きで、51歳になった今でも忘れられない
人生は一度きり
でも、うまくやれば一度で十分よ
もう~、サイコーに心に響く言葉!
と、当時思ったのです。 わたしにとってこの言葉は、「失敗をしないように生きていく」ということではなくて、色々と人生を悩み、苦しみ、それでも前を向いていけば苦しいだけでない道があることが分かるときがくる。人生に腐らず、自分に腐らず、沢山の経験をし経験から得た知識がいつか自分を助けてくれる。そしていつか人生の終わりが近づいてきたとき、今までの人生をふり返ったとき、きっと「色々あったけど面白い人生だった」と思えるだろう。 そんな人生をわたしは作っていきたい。
うわ! 人生失敗や・・ もう一度やり直したいわ・・・・・
と思いながら死んでいくことのないようにしなければ・・・・と子供ながらに誓ったことを今でも覚えています。
あこがれていたキャグニー刑事・・・・あの頃のキャグニーの年齢設定はアラフォーでした。
まさか自分があのキャグニーの年齢を通り越していたなんて・・・
大好き
わたしはみっちー(おおきん母)が大好きなの♡
子供の時からずっと、ずーーーーっとわたしの味方になってくれていた。
多分わたしは間違っている・・・と、おおきん自身が感じていてもみっちーは間違っているおおきんを愛してくれていました。肌で感じ取れるくらいにみっちーは子供をまさに「愛」で包んでくれました。
みっちーはかなり「テキトー」人間です。 その場の調子にうまく合わせるし、昔からマンガみたいなクルクルパーマおばちゃんだったし、パチンコ大好きだったし、交通ルール守らず警察にキップ切られそうでもその場で絶妙な言い訳出来るし、やりたいことをやってきた人です。人当たりもサイコーで、知らない人とすぐに友達になっているし、どんな人とも話しを合わせられる。
そして人の心も身体も傷つけない。
絶対に真似できない、サイコーに楽しい人です。
癌になって、落ち込んでいたけれど、それでも入院先の先生と看護師さんとめちゃめちゃ仲良くなっていた。
現在51のわたし。みっちーみたいになりたいと思っているけれど、なれないんだよね~(;^_^A
みっちー自身は高校生の時にみっちーパパを亡くしています。(おおきんのおじいさん)
死は必ずやってくるもの、と受け止めるにはまだ若すぎたと思います。 みっちーにもみっちーパパにも。 でも、父を亡くしてもみっちーは落ち込まず、母を助け、人生を楽しんだようです。現在みっちーの母も10人の兄弟の中、6人も既に人生を全うしました。みっちー含め、4人の姉妹がこの地球上で人生歩んでいます。皆様アラエイティ~アラナインティ!
みっちーーー! がんばれ~~♪
みっちー! だいすきよ~!!
人生は自分のもの
さて、転移疑惑のみっちーは今後どうするのか。 手術・抗がん剤治療をするのか?
と思い、みっちーにそれとなく尋ねると
おおきん、大丈夫よ。
ワシはもう手術もなにもしない、とお父さんと話し合って決めとるんよ。
と、言っていました。
「もうここまで十分に生きてきて、何も後悔もないしな。」と。
「後悔ないしな」
みっちーも人生を謳歌したようです。(まだ終わってないですW) みっちーは自分の体調よりものりぞーが不憫で仕方がないようです。楽しい子供時代のはずなのに、コロナという騒動に巻き込まれ・・・と思っているのです。
でも「きっと大丈夫」とわたしは感じるのです。身体も心も本人次第。みっちーは幼少期が戦時中でした。それでも生き延び、自分の人生を楽しめたのだから。わたしものりぞーも誰でもみんな「大丈夫」さ。
「自分の現実は自分が創る」と超次元ライブで言ってました。と思ったら、結構同じ事を発信している人が沢山いました。すべて同じ事を言っているのではないけれど、多くの人が大体は同じ事を言っています。ピラミッドの社会は確実に現存し、この世の中はそのピラミッドに支配されている。
当たり前と思っていたピラミッド社会は緻密に作られた支配者構造。
ピラミッド社会の頂点の人(宇宙の人)
ピラミッド社会の頂点にいるとおもっている人
ピラミッド社会の頂点を目指す人
ピラミッド社会で苦しんでいる人
ピラミッド社会で苦しんでいる事を気づかない人
ピラミッド社会で苦しんでいる事に気づいた人
ピラミッド社会と戦う人
ピラミッド社会から抜け出る人
どの現実に身を任せるのかは本人次第。 どの世界が「悪い世界」「いい世界」と判断はないという。だからわたしは、一番最後を選ぶなぁ。 自分がこの世界に来た理由を追求して大いに楽しむわ!
人生の目的
人生の目的は何なのだろうか。
知らないうちにこの世にいて、一応普通の人が歩む道を歩み、死んでいく。そこに大きな目標があればそれに邁進し、挫折や苦労や喜びや感謝、色々な経験をする。大きな目標など持った事がないまさに凡人のわたしには生まれて、それなりに生きて、そして死んでいく。人生はそんなものなんだ、と、思って生きてた。
そしてコロナ騒ぎで色々と知りました。この地球のシステムが根本的になかなか狂っていたとは(笑)
狂っているから人生の目的をなかなか思い出せなかったんだと。
多くの人が(テレビでは全く言われていませんが)「人生は生まれる前に自分で決めてきた」と言っています。はじめは「??? 何言ってんだ?」と思っていたけれど、最近では「そうなんだな」と思っている。そして、この地球上に生まれる前は「意識」の存在だったんだと。「意識」レベルでは「地球に来たら、自分の体を手にしたらアレしたい、コレしたい」と意気込んでいたはず。ようやく厚い厚い氷が溶けるというか・・・ 最近「何をしに来たのか」をずっと考えています。
そしてこのキーワードにものすごく心が揺れるのです。それは
自由だ~!!
このワードを聞くと涙がちょちょぎれるのです。
「自由」はわたしのキーワードです。自由にやりたい事をする←大げさな事ではなくて、「自由に行動する」事を満喫する。色んなルールに縛られてきたこの人生。でも多くは従ってきました。ケンカを嫌う性格上、少々の事は我慢しても、輪(和)を大切にしたい派なので。。でも、こと自分の体の自由を危険にさらされるとなると物凄いアンテナが張るのです。
この体はとっても大切。
だから、体に負担がかかるとことなると
恐ろしいほどの拒否反応が出る、ということを今回はっきりと感じます。
自分がこれほどまでに「自由に生きる。自由に息をする」ことに敏感だったとは、正直本人が一番驚きました。
「死」について考えていたら、「生きる」事に結びついた~( ´∀` )
今日もマスクをしないで、ウォーキングをしました。
空気がこんなに美味しくて、ありがたいなんて。コロナ騒動がなかったら気づかなかった・・・
「当たり前」の風景が今とても「新鮮」なのです。