おおきんの母、みっちーの癌のおはなしです (絵 のりぞー)
術後のはなし
約1年まえにみっちーは肺がんの宣告を受け、手術を受けました。 80歳の高齢で、手術を勧めるというのはどういうことだろうか。
簡単だから? それとも、深刻だから?
わたしは先生の説明に立ち会わなかったので詳しくはわからないのですが、先生からは
やってみましょう
それに圧された感じに受け取りました。 小さな身体が術後のお見舞い(コロナなので本当に顔を見て、着替え渡して、さよなら~という超短時間)ではもっともっと小さくなっていて、こっちが悲しくなりました。 わたしの心配をよそに、みっちー本人は病院の先生や患者さんたちととても楽しい時間を過ごしていたようです💦
あれから、1年。 みっちーは今も元気に生きています。 定期的に検診を受けているようです。 そして、彼女は決めているのです。
『何を言われても、もう手術はしない』
前のブログにも書いたのですが、彼女の人生の中にもう再び『手術の意思』はないようです。 理由は“十分に生きたから”です。 そして、前回受けた手術については”受けて良かった”ようです。
手術へのプロセス
やはり突然の癌宣告にショックは隠せないようでした。 本人全く症状がないのに、健康診断でのレントゲンに「影」があるということで検査をし、そこから「癌」と判断され手術を「やる」か「やらない」の決断を迫られる。 結構迫られるようです。
同時にわたしの実父もショックだったと思います。 手術前の説明の時にも
「命は大丈夫なのか」
と、先生に聞いていたようです。 父はとても母の体を心配していました。 今まで一度も大きな病気をしたことがない母が、癌宣告を受けて本人の次くらいにショックを受けていたと思います。 先生も
「なに、心配することはありませんよ! 」
なんてことは言ってくれません。 もしもの時には病院を訴えない書類ようなものにサインをするときは嫌な気持ちになった、とあとで話してくれました。
コロナ真っ最中なので、入院手続きしたらすぐにバイバイ。 さみしかったです。 つくづくコロナ茶番が嫌いになりましたよ、この時は。 覚えていないけれど、この時も全然感染者数は少なかったと思います。(多くなった記憶もないです・・・)
手術内容は腫瘍が予想より大きく、予定時間よりオーバーしていましたが結果は無事に終了。
術後
術後処置とみっちーの体調をみて、特に大きな問題も見られず、予定通りの日程で退院していました。1週間くらいは入院していたでしょう。
その後は数週間後、1か月後、数か月後、と日を伸ばしながらも経過観察と検診を受けて約1年が経ちました。
みっちー、もう歳もきてるし、
手術の方が体に負担あったんと違う?
何の症状もなくて、手術してよかったの?
と言っていたから、みっちーはいうのです( ;∀;)
手術はね、受けてよかったと思ってる
先生初めは怖くてイヤな感じやったけど、話すとホントに
いい先生やった。 感謝してるんよ。
物事はすべて考えようだ
わたしは出来る範囲で色々な情報を取りました。 中村先生の著書は今まで考えていた病気の概念が変わります。 癌細胞は誰でも持っているし、生まれては消えている。 歳を重ねた人であれば、進行も遅いだろうし、症状が出るまでには何年もかかる。 癌の症状で苦しむ人よりも、抗がん治療で苦しむ人のほうがよっぽど多い、等々。 そして、手術をしないことを選択した方々の死に際は往々にして「安楽」という。
みっちーの癌宣告から手術までの期間には私はその知識を得ることが出来ませんでした。 術後、ネットで調べたうわべだけの情報ではあるけれど、よく見る記事はメモをしては母に伝えました。
癌は糖分の取りすぎはダメ! 体温を高くする! 免疫を上げる努力を! 人参ジュース!!と、色々と言いましたが、結局は本人次第。 その本人にとって”これがベストだ”と思えることをするのが一番だろう。
そして彼女はこう言うのです。
やった過去は後悔しても仕方ないので手放そう。 そう、あの宣告は受けてからすぐに返事をしないといけない雰囲気があります。 無症状であればなおさらの事。 元気なうちに手術の準備をして生きている人はひとりもいない。 だから今思うことを信じて行動すればよい。
人生を悔いないように生ききる
大病を患って気付かされることは多いようです。 あれをやっておけばよかった、あの人に会っておけばよかった、あそこに行っておけばよかった。 そう、後悔がとても多いようです。 突然突きつけられる余命宣告。 生まれて来た以上必ず訪れる死、しかし人はあまりに死について考えなさすぎなのです。
超次元ライブではこのことについてきっちりはっきり分かりやすく説明してくれています。「あなたの人生変わります!」
今のピラミッド社会では自己否定を教育されていきます。 ”最高でなければ恥ずかしい”、”この程度で大きな顔するな”、”あの人を見習え”、”人と同じ事が出来ないと恥ずかしい”と、いう具合に。 これらの思考はまさにピラミッド教育の成せる業。 自分の希望や夢は人に知られたり、聞かせたりしたら笑われる、といつの間にか思考操作させられています。 しかし、死を目前にした多くの人達はそこで気付くのです。 そう、余命宣告をされたり、すっかり自分では自由に動き回れるほどの体力がなくなってしまってから。 それでは遅すぎるのです。
今、この瞬間に「やりたい!」「挑戦したい!」「作りたい!」「食べたい!」「会いたい!」「行きたい!」心から出てきた声はそれに従ってやるべきなのです。 学校であの子と話をしたい、と思ったら思い切って話せばいいのです。 話したことなくても、どんなへんてこな演出にしても喋ってみたらいいのです。 仕事に対して言いたいことが有れば提案すればよい。 辞めたければやめればよい。 事業を始めたければそれに向かって走ればよい。 対立の感情を持たず、素直な感情に従って。 誰がなんと言っても、これはあなたの人生なのです。 あなたの人生を満足できるのはあなただけなのですから。 誰もがこの世に生を受け、誰もがいつかは死にます。 生命の続く時間があなたの人間としての楽しい実験の時間なのです。 だから誰に何を言われても、誰に笑われたとしても、それは関係ないのです。 それが信念だと思います。 失敗しても別にいい。 興味が別のものに変わってもいい。 今、自分のしたいと思うことをすれば自分の心は満たされるのです。 自分の心が満たされると、幸せな気持ちになります。 幸せな気持ちは他人に優しくなれます。 (自分の夢のために人を傷つけるのは問題外です)
付け加えると、「余命宣告」なんてただのデータです。 この病気にかかった人は平均でどのくらいの寿命か。 ただの平均です。 信じなければそれでいいのです。 人に自分の余命を教えてもらうのは余計なお世話というものです。 余命を言われた本人の多くは深く傷つきます。 そして、死に向かって準備を始めるのです。 色んな人が色んな体質を持ち、色んな思考を持っています。 にもかかわらず、この病気になれば大体○○年の余命。 「思考は現実になる」という波動的観点から考えると、この余命宣告は患者にとって危険なものだと思います。 特に「先生の言うことは間違いない」と思っている人達にとっては。
どこまで信じきれるかで思考の現実化が起こるといわれています。 今はピラミッド社会が主流です。 しかし、思考は自由なのです。 あなたの現実を支配者達は介入できません。 あなたの思考があなたの現実をつくる唯一の手段です。 外からの情報に振り回されることなく、自分の身体を大切にしましょう。
みっちーの場合、手術から1年が過ぎました。 それなりに元気にしているように見えます。 相変わらず薄着なので心配していますが、彼女が「いい」と思っているのだらか、きっとそれでいいのでしょう。 近所の散歩仲間とよく歩いているようです。 私の記憶ではみっちーはいつも「愛」に溢れている人です。 ご近所さんからいつも何かの差し入れが玄関に置いて有り、お肉・お魚以外の食材(つまり野菜)は豊富にあります。 チームミナミAアシュタールがよく言う「縄文の麓」のような感じです。 誰からか分からないお野菜がビニール袋に入って無造作に玄関口においてあるのです。 洋服を下さる人もいるようです。 みっちーも色んな人に色んなもの(自分には必要ないもの)を他人様へ回しているようです。 しかし、その地域が縄文の麓ではありません。 同じ考えを持った人達で物が回っているように感じます。 それを「波動」と呼ぶのではないでしょうか。(きっとそうだ!)
最近ではお金をあまり使わなくても
色々ともらえるからありがたいんやわ~
今も会いに行くと沢山の愛情を私に与えてくれています。 50過ぎた娘に対しても「愛は変わらない」のです。 それが今の彼女を作るのです。
医者は神ではない
養老孟司先生をご存知の方は多いでしょう。 解剖学者でお医者さん。 大大大大ヒット作「バカの壁」の著者でもあります。 養老先生のお話もとても面白いので大好きです。 そして先生もおっしゃっています。 歳を取れば病気を持っていて当たりまえ。 だから病院へは行かない、と(笑) 世の中ではお医者様は神様みたいに思われているが、養老先生の見解はさていかに。
自分の世界を創り出せ!
テレビの情報にのめり込み過ぎないで、自分の生活を取り戻しましょう。 テレビも医者も決して神ではありません。 現在はオミクロン株にかかったとされる人数を毎日テレビで放送されているようですが、これを見ないだけでも自分の世界は大きく変わります。 だって現実の世界、一歩外に出れば普通の日常ですから。 恐怖は外(メディア)からの情報です。 恐怖を取り除くと快適そのものなのです。